情報モラル教育の本気度の低さとむなしさ

教員研修はいつも 「禁止」→「不問」 AIだって・・・

初期の研修会で講師が
「LINE使っている人手を挙げてください。あれ、いないんですか。何で皆さん使わないんですか、こんなに便利なのに。」
「子供に使わせない、よりもよりよく使っていくのが大事ですよ」
そんな話をしていた。その当時の教師側はほとんど使うものは無く、情報モラルの話題も「いかに使わせないか」だった。


数年後、教師が部活でLINEを使い出す、学級で使い出す。
使わせなかった子供たちへの指導姿勢は、何だったのだろう。


やがて教師保護者間もトラブルも出始めてから「保護者との直接のやりとり禁止」令がでる。
どれだけ今守られているかは分かったものではない。

学校での情報モラル実施はいつも 「体育館・一斉・1時間・委託」

どの学校も、情報モラル指導は外部委託だった。
市教委の人が来たり、NPOの人が来たり。内容は講座。一時間話して終わり。
やったことになる、だけのものだった。


自分も情報モラル指導を考え、実践はした。
地元の中学の子供たちに「情報トラブルで困っていること」調査をし、
その結果必要な部分について情報モラル指導をした。

しかし、個人で動いている限り、継続はされない。
自分が情報主任を離れれば、すぐに「年一回、外部講師を呼び、体育館で話を聞く」で安定してしまう。

しかも、卒業後のその学年の子に対して、教師が情報モラルトラブルを起こす。
このむなしさ、いかばかりか。

LINEを子供に使わせるか、とAIを子供に使わせるか、はデジャブ

「使わせない」「問題を起こさせない」→ 卒業 で得するのは大人や教師。
安全な中使ってトラブルを回避する技を学ぶ以外ない。

インターネット当時、自分も法外な通信料請求が来て問い合わせたこともある。
バランスよくやっていくしかない。

個人としてはネットそのものがNO

子供らの会話量の修行が詰まれる前
文章構成能力や調査能力検索能力が開発される前に、
コンピュータ依存するのは薦めない。

それが無いと生きていけない、従属の関係しか生まないから。

MSやGの社員を育てているわけでもない。
LINEに住所や写真データを切られても
身一つで生きていける自由さ、
私は私であること大事にしているからストレス無く生きていける。


それは個人の価値観。どれが正解という話でなくその人の正解であればよいとの話。
あなたの家ではどんな価値観を大切にしていますか、してきましたか、という話。

LINEが普及したとき、

勝手に携帯電話住所録に入り込んで「LINE始めました!」というメールが送信されるという方法で広がっていった。

あれは合法だったのだろうか。