GIGAスクール端末の古さが浮き彫りになる。
3年たった。
世の中の進化スピードに、納入スピードがついていかない。
ついていこうとするならば。
不易部分の基盤を教える学校であるか、
流行を追う学校であるか。
次の全児童数分の端末購入するだけの金は、あるか。
清算受注して金が流れる先はどこか。
児童の情報がすべて保存される先はどこか。
それは国内か。
初期整備者の異動による、整備が回らなくなる。
学校は3年程度で担当者が異動する。
整備したものを、整備しなおしたり、
若者が、若気の至りで勇み足をしてぐちゃぐちゃ整備にしたり
表に出せないほどの紛失事件が起きたり。
考え方によって整備の仕方は違う
理科準備室でよくある。
学年ごとに整備するか、
分野ごとに整備するか、
実験ごとに整備するか。そこには整備者の考え方がある。
考え方を維持するのは難しい。形骸化する。
だんだんに根幹がおろそかになり、崩れていく。
そろそろ、崩れ始める時期。
児童・生徒と教師との乖離
子供がPCスペックを馬鹿にしたり。
PCをフルに使う若者先生に教わった子供がPC使わない先生を馬鹿にしたり。
学校制度自体を馬鹿にしたり。
自分が学ぶ身であることを忘れ、周囲を攻撃しても、いいことは無い。
防ぐには? → 防げない。その中で、できることをする。
経験上は、防げない。
根幹を一貫してもつことができる、または、制度見直しのルーチンをもっているならばよいが、公立はそうしたシステムをもたない。
ICTモラルを守るのが大事、体験が大事、という教師と、
まず触らせるのが大事、推進が大事、という教師と、
皆がいる中で、当事者子供たちも含めて協議して取り決めてよりよくしていく。
形や約束だけ残って、それを破るのが当たり前、を見ていれば、
それ自体が負の教育になっていく。
「約束はあるが、守らないのが、当たり前」
「むしろ、破るほうが、正当、それが世の中」と考える「考え方」の蔓延。