新しい戦後に教師はどう働く これまでの価値観は通用しない 伸びる先も見えない

第二次大戦後、教師は
それまでの教科書に墨塗りをし、
戦前に教えたことが覆され、まったく違うことを言い始めた。


言わざるを得なかった。

今、コロナ後、教師は

これまでの働き方に墨塗りがされている。
コロナ前に学んだことが覆され、全く違うことが言われ始めている。

教員が、仕事するいち労働者になる

金銭のために仕事をするものを教員という
子供の心に火をつける者を教育者という

教育者たれ、と指導されてきたことは今は昔。
まずは労働者ということで働き方改革が続く

改革で

行事がどんどん削減される
中体連の大会は地域に移行。学校の代表として、という意識は消えていく。
体罰も無し。叩けば、触れば、社会的に殺される。
若いころ習った技は使えない。
純粋にボランティア精神でグラウンド整備をすれば時間外労働だと矢が飛んでくる。


板書に書く技術はプレゼンにとってかわられ、
ノートを書く技術はタブレットに変わられ、
学校でのしつけと言われたものが、強制させるなと言われる

価値観ががらりと変わる変わり目が、今。

「やるものだ」「はいとイエス」しかなかったものが、「いいえ」だらけになる。
「だれかがやらなければいけない」「だれもやりたがらない」


休日にボランティアで審判をしていた各種大会も、
運営困難になっていくだろうと思われる。
これまでの組織が維持できなくなる。

これまでの常識が通用しないコロナ開け

しかし歴史は続いていく。
まったく新しい価値観の中で。
軍国主義で個々の能力が高かった戦前の体罰教育は二度と戻ってこないのと同じく、
教師が子供たちのためと提供し続けてきたサービス、関係性も二度と戻ってこない。

そうした価値観の転換地として、戦前戦後がとても似ていると思う。

新しい戦後

タモリは「新しい戦前」と言ったが、
もう、「新しい戦後だ」と、そう思う。