子供を子供とみていない、ネットでは書けることと書けないことがある

子供は子供

ICT推進の学校事例は、とても良いように見える。
授業にも大人のような対応で参加している。
でも、子供は大人ではなく、ふざける子もいるし、興味が散漫な子もいる。
学習課題に毎日安定的に取り組めるような日常ではない。


たわいもないことからケンカになったり、泣いたり、ハプニングが起きて和んだり。
学校で感染対策をしてみんな取り組んだとしても、
ハンカチを持ってきていない子が廊下で手を振り振り水を飛ばしたり、
廊下や教室にごろごろ転がったり。マスクをベロべろ舐めてたり。


ネットに現れる学級は品行方正。大人。
アプリ操作もパスワード操作も簡単にやっている。
でも残念、そんなところばっかりではない。


子供は言うことを聞かないもの。
でもそうした事例は、ネットには載せることはできない。現れてこない。
教師の指導が悪いだけ、と一蹴される。
やぶへびだから、余計に言わない。

チャットやカレンダー機能を

www.mext.go.jp
www.mext.go.jp

児童にアカウントを与えても、その中身をだれもチェックしない今の現状。
どんなものを保存し、どんな活用がされているか。


土日に貸し出しただけで数時間やり続けた子もいる。
学校から切り離されて心が休まるはずなのに、家の部屋の中まで学校が追いかけてくる。
家庭の現状を明らかにオープンにできる子ばかりでもない。


表に出せない様々な事例や
表に出てこない様々な考え方。
表面だけまねても、何が何だか分からない状態になる。

新年度の混乱

「前の先生はいいって言ったよ!」「なんでパソコン使わないの!今度の先生嫌!」「書き取りなんてやりたくない、Google使えばいいじゃん」


なーんて、わちゃわちゃになってく学級も今後出てくるだろうと思われる。
タイピングをやった一年生は、鉛筆の持ち方とかを馬鹿にしないだろうか。
時短のためにICTを使った児童は、その後、人の話を最後まで聞く、ここに話を出し合い紡ぎ合う、そのゆっくりとした話し合いのスピードに、イライラしないでつき合えるだろうか。
教師の宿題の指示に、真面目に従えるだろうか。
黄金の3日間に、何を教えたか。それによりその後の生活も変わる。
自分とは異種の人間に、切り捨てずに、理解をもってつき合えるだろうか。


学校は今本当に変革期。うまく軌道に乗るか、瓦解するかの瀬戸際。

自分はどうしたい

字が書けない、読めない、情報を読み取れない、そんな子でも、そんな人でも、楽しんで学べる教室を続けていきたい。

タイピングができなければ、脱落。アプリの使い方が分からなければ、脱落。
英語ができなければ、脱落。授業に参加すらできない。
そんな、仲間を切り捨てながら進む分断の教室は嫌だ。


Googleの消費者を作るために教育をしているのでもない。
Googleが無いと抜けられない、グーグルを消費し続けないと生きていけない子供を育てるようなことは、したくない。

小手先過ぎる

身に付けるアプリ操作、そのアプリ操作技術は、10年後にそれがあることを保証しない。
学習内容を保存したクラウド、それは未来まで残っていることを保証しない。
クラウド上に保存した写真、それは未来まで残っていることを保証しない。


GIGAの子供の活動は、卒業とともにすべて証拠が消えてしまう。
技術も、更新し続けなければならない。
必要のない全国の情報を入力し続け、追いかけ続けなければいずれ脱落する。
真面目に追いかけ続けたら、馬鹿を見る。


さて、どうする。