終戦の日

6年生の7月までに戦前戦後の歴史を学ばないのだから、
小学生は8月6日も9日も15日もソ連侵攻も知らずに過ごす。

記憶の伝承が絶えている。

他人事の歴史。


戦争の生き残りである自分の直接の祖先が
当時どこで何をしていたかだけでも、知って欲しい。


でも、公的機関の学校では言えない。
語りたい人も、語りたくない人もいるから避ける。


自分の爺婆が戦中に生きた話、一歩違えば自分はここにいなかった話は、貴重で、どこにもないオリジナルな物語。


なぜ記号化された、どこにでもだれからも得られる陳腐化された一般論ばかり求めるのか。


叔父さんから聞いた8月15日の浜松、
その日は日曜だったので、町に市が立っていたそうで買い物に行ってたとか。
別に正午にすべての国民がラジオ放送に耳を傾けていたわけではないことを知って、びっくり。

書物も映像も写真も玉音放送聴いていない国民の様子など、記録に残って出版されてはないからね。
でも視聴率考えても、100%であった確証などどこにもない。べつにそうだよな、と思わされた話。

別の爺さんから聞いた話も
松根油を取りに山にでていたそうで、玉音放送は知らなかった
帰りに町の人から聞いた、とか

軍人さんに教えたら、そんなことがあるはずがないと一喝されてびびったとか、
いろんなところでいろんな終戦を迎えた人がいたようだ。