公文式を学校に取り入れたら、
みんなプリントに向かうだけになり、学校でなく塾のようになってしまって
孤立化してしまった・・・という実践があったこと。
ICT化のモデル事業で、人と人とが目を合わせない学校の写真を見るたびに、
そうして育ってしまう「からだ」について、言及がないことを
「からだが語る言葉」を追究してきた自分にとっては
気になる、以上に、あきらめに近い気持ちがある。
にしても、
こうした実践を、多様な形で実験的にやってみる、
失敗してもいいからトライしてみる。
一律に取り入れる、でなく、色々な形があって、成果を見て、改善していけるなら
それがよい。
自分たちの街で、なにができるか、自分の教室で、なにができるか、だ。