喜ぶ姿を見る

お客さんの喜ぶ姿が励みになる、というのは
仕事の醍醐味として聞く。

講座をリアルでやって、ふと、
ああ、この子供たちが喜ぶはしゃぐ姿が自分はうれしいのだ、と思った。
別に、科学や数学の知識をたくさん植え付けたいわけじゃない。
この様子を見たいのだ、これが仕事の醍醐味だと自分は思っているのだ、と。

ICT機器や教材越し越しでは、

子供たちの「わかった!」「なんだ?!」の瞬間が
伝わってこない。
喜んで「へーー!」と言っても、ICT機器やICT教材は、
一緒にその発見を喜んでくれない。


自分のしたことで、喜ぶ姿が見られる、という実感が
ICT機器を一枚挟むことで薄くなる。


一緒にいること、見守ってくれることのような、
一見無駄に見える非効率に見えるような、
見えない配慮が、実は一番大切なように思う。

いまだに疑問

ICTを使った授業で公開されている写真、動画を見て、いつも気になることは、
誰も目線を合わせていないこと。


教師が子供を見ていない。
子供が教師を見ていない。
子供が子供同士で目を合わせていない。

静かな反発

それが正常、よいもの、これから必要、と言われることに、
先生たちが静かに反発しているように思う
けれど、その反発は言葉には残らない。エビデンスも現れない。
昔から大切にしていること。

どんな価値観を持つ集団をつくるか

朝、登校したらPCを開けて掲示板で予定を確認、
隣に友達がいるのに直接話さずチャット。
教室に挨拶して入っても、だれも目を向けない。

そんな教室が、最新のICT活用として紹介されている。
そんな教室は嫌だ、おかしいだろう、という突っ込みは、古い人間の証とされるから、
みんな言わない。


「大切なものは、目には見えないんだよ」