小学生は、8月15日は何の日か知らない。
だれも教えていないから。
ここ数年、ことあるごとに子供たちに聞くが、
学童保育や学級など、どの集団で聞いても8割がた知らない。
小学6年生は、教科書によっては8月までに現代史まで到達しない。
公民を学び、歴史を学び源平ぐらいで夏休みだったりする。
テレビは見ない。youtube中心。
当然知りようも無い。
他人の戦争体験は、他人事。自分の祖先はその頃何をしていたかをそれぞれが知っていたい。
自分の知らない人の話は、情報としては、ただの情報。
講話を聞いた後「眠かった」と思っても、テレビや取材や感想文でそう書くはずが無い。興味が無い人には興味が無い。
自分がココで生きているというのは、
その時代の自分の祖父母やそう祖父母が生きぬいたという証拠。
戦争の生き残りの子孫しかこの世界にはいない。
皆、戦争の生き残り。
自分の上の世代がその時代をどこでどう生き抜いていたか、
それぞれがもって、継承していればいいのにと思う。
自分の父は浜松空襲のとき祖母に抱えられて逃げた。
父の叔父は豊川の海軍工廠で空襲に合い、サツマイモ畑で伏せて生き延びた。
だから今があり、その子孫にも会えている。
ここに飛行機が落ちた
この橋のここに銃弾の後がある
ここで艦砲射撃を見た
祖父の友人が艦載機で狙われて撃たれ逃げ延びた
出征直後の天浜線車両が銃撃に合った
この駅から出征兵士を見送った
疎開していた浜北から卒業式のために東京に戻った子供たちが東京大空襲にあって死んでしまった
満州から逃避行の末、三方原に入植した
等々
その土地その土地の戦争の跡がある。
どこでどう生き抜いていたか、
それぞれが
それぞれの物語りをもって、
継承していればいいのにと思う。
終戦記念日の8月15日は日曜日で、叔父は浜松の中心部に出かけていたので玉音放送は直接聴いていない、帰ってから知ったと。
資料でしか知らないときは、皆が招集されて玉音放送を必ず聞かされたものだろうと思っていたが、当然そうでない人もいる、なるほど、と思った。
あなたのそう祖父母の方々は、8月15日、どこで何をしてましたか
価値観の国際的違い
「アンティゴネ」という戯曲
アンティゴネとイスメネが戦死者の弔いについて対立する。
死者は皆同じと考える人々と
死んでも敵はあくまで敵だと考える人々と。
戦後80年も「不戦」と「慰霊」をし続けているのに、
国と価値観によっては「また戦争をしようとしている」と読み取られる。
なぜだろうと思っていたが、死者の弔いへの価値観の違いにあるようだ。
死ねば皆仏の国
死んでも銅像で縄を縛り、唾を浴びせる死んでも許さない国
いろいろな考え方があることは、知っておくほうがよいし、
意図は明確に伝えていくほうがよいと思う。
近年は「慰霊」なのに「加害」「贖罪」という変な論調が混じってくるのは
とても気になる。新聞の見出しが変節してきている。
けれども一個人ができることは無く、相変わらず新聞の一方的情報に踊らされるのは、戦前から変わっていない。
ウクライナ対ロシア と 日本対米国
小学6年生の教科書には、圧倒的な物量の差を示すグラフが示されている。
「無謀な戦争」という言葉をよく使う。
同じ論理でウクライナ戦を語るメディアや個人は叩かれるから、ほぼ見ない。
それでも守らなければならないものがある、と擁護するなら
日本の戦いを肯定することになるだろうし
いや無謀だよね、というなら
教科書の書き方と同じで筋が通る
どう授業したとしても、叩かれる。
だから、どちらとも言えない、あいまいに過ごすしかない。
醜聞だけを集めるのは
いいことも悪いこともすべてぐちゃぐちゃなのが戦争。
美談もある。醜聞もある。
悪いニュースばかりを集めて、悪だったと言うのは受け入れられない。
日本の教職員の悪いニュースばかり集めて、
日本の教職員は悪だったというようなもの。
日本に何千とある学級には、
いい学級も悪い学級もある
同じように色んな部隊もあっただろうし
規律を厳密に守らせる部隊も
「規律に書いてはあるけど・・・」という部隊もあっただろうし
なんとも言えない、分からない。
ただ、学校の教員と同じく、すべてが悪だった、というのは違うだろうと思う。
善悪一元にして語るのは楽だろうけども、そんなものではないだろう。
みんな、その場で一生懸命に生きていたのだろうと思う。
教科書による記述の違い
志願兵として募集してきた朝鮮人の写真が、
強制的に徴兵された朝鮮人として掲載されていた。
教科書によって歴史観はガラッと変わる。
だから、教師も深入りすること無くやり過ごす。
忙しい年度末が近づき、
戦争が終わり高度経済成長で、その後オリンピックまで復興しました!
ぐらいで終わり。
でもそれも50年前の話。
この後の50年をじっくり授業でやるか、というと、
6年生を送る会やら卒業式の練習やら国際理解の項目やらで、
やることが多すぎて小学生はまともに学べていない。
物語として、オリンピック!再興!以降をうまく語るのも意見が様々あり難しい。
戦時中の銃後の守りとワクチンの最前線
中日新聞に「私たちがワクチン接種を支えています!」と後方支援の方々の笑顔の写真を掲載していたのと、戦時中の国民総動員の様子を伝える掲載と、何が違うのか、問う場所も無いからあいまいなまま。
戦前・戦後の教師の変節
墨塗り教科書と同じように、未成年飲酒表現や性的表現のある漫画やドラマアニメはお蔵入り。「赤い実はじけた」も「つり橋渡れ」も文学作品として優秀であったと同じ価値観で方ってはいけない風潮になっている中で、「あれは素晴らしい」と思ったことを言える世の中か。
戦時中は洗脳されていたなどと軽く言うが、赤紙・白紙が来て動員で出向くことと、ワクチンの紙が来て、周囲の圧を受けながら自主的に出向くことと、そうそう変わりない。
原発が爆発しても、仕事を放り投げて家族を置いて逃げることはたいていの人はしなかったし、コロナのときも仕事を放り投げて家にこもることはたいていの人はしなかった。戦時中に召集されても、そうそう背いていける人はいなかったろうし、背きようも無いだろう。今と変わらない。
コロナの間、教師は、ワクチンやマスクが正しいとも、正しくないとも、個人の考えを表明して誘導するようなことは公教育として厳に慎んだし、うまく中庸でやっていくしかなかった。だれがワクチンを打ったかどうかも、コロナにかかったかどうかも言えない。戦時中にマイノリティな意見を表明することなど到底難しいことを体感した。戦争中の金属供出、動物、徴兵、配給など、そういうものだと受け入れるしかなかっただろうと想像する。
今、教育は学校に行かなくてもいいとか、これまでの教育内容を受けなくても生きていけるような風潮にあり、糸の切れたたこのようになっている。
これまで「教育的効果」を狙って信念を持ってやってきたであろうことを、何の説明も無く、さらっと切り捨てている。戦後の教師の変節も、教師という仕事の人が生きていくために必要だったのだろうと思う。
・夏休みのプール開放 半日は学校で預かってもらえた。
・水泳指導の飛び込み 学校で教師が指導して危険も学んだ。
・消毒槽・目洗い 騒がれて終了。
・夏休みの飼育当番 いのちに触れる経験。
・部活動 学校の代表として頑張ったり、地域の1位になって賞状をもらったり
・クラブ活動 科学クラブでアイスキャンディー作りなど
無報酬でそういうものだといってやってきたものを享受してきた世代は、次の世代にはやろうとしない。プールも各家に任される。外国のように、泳げないことが基本になっていく。確率的に低い事故・死者ももちろんあるが、指導が無いことによっての被害損害が今後どうなっていくか。
これまでの教師の無償労働が、どれだけ世の中を支えていたか、評価されるときがあればよいが、何の説明も無いまま、「時代が変わったから」と言い訳をして
さらっと変わっていく。
アンコンシャスバイアス
無意識の思いこみ、自分が思いこんでいるだけかもしれないという意識を持って!と日常にNHKですらが語りかけてきて
それぞれが生活している価値観を壊しにきている世の中にうんざりしているから、
無常観が増すのだろうか
それぞれが経験から価値観をつくっていくことは、当たり前のことだろうに。
歴史的に受け継いできたもの、その土地その土地の風習や風土などの価値観を取り上げ、無に帰す動き。
都市部だけで育った2世代目3世代目の何も受け継いでいない個人単体としての「ひと」であれば、アンコンシャスバイアスもわからんでも無いが、世の中には文化風習を譲り受けて土地を守り受け継いでいる人たちもたくさんいる。
破壊行為にしか見えない。
歴史上にある「幕府が求心力を失った」というのは、こういう状態のことなのではないかと思う。空気も空も雲も道路も子供の頃から何も変わっていないのに。観念だけがうねうねと世の中を変えている。