いつか来た道

LINE が 出始めたころ、

学校の情報担当への研修は「子どもに以下に使わせないか」「危険性」の話題が中心だった。

講師「LINE使っている人手を挙げてください」教師「・・・・」
講師「何で使わないんですか?こんなに便利なものは無いですよ」

学校では「危険性」「使わせない」が推奨された。
その方が、学校内でトラぶらないから。

けれど当然、使う層は学校の先生の言うことなんて聞かない。
いい子は、学校を出てから、トラブルに出会う。
そして先生は、しれっと、皆使い始めた。
誰も責任は取らない。

wikiが出始めたころ

ウィキペディアは、出典が怪しいから、そのまま鵜呑みにしないほうがいい、といわれていたのは初期のころ。

今は、そんな注意書きを子どもが習うことは無い。

ブログが出始めたころ

引用もとにあいさつをして断ってから掲載しましょう。
子どもに、ネチケットをつけましょう。
子どもに、ネチズンとしてマナーをつけましょう。

今、通用するものがあるだろうか。
教えた「もの」に裂いた時間は、何で効果を測るというのだろう。

5年前の中国視察で電子マネーの普及の様子を見たとき

道にいる物乞いまでQRコードを掲げている。
旅行者向けの現金決済のレジは1つだけ。
しかも計算が出来ないような店員、え?現金ではらうの?という顔された。
日本に戻って話しても、電子マネーなんて、やだよねぇ、といわれて終わり。

そして今。
当たり前のように。

そしてチャットGPT

推して知るべし。
使わせないように、以前に、使う未来になる。
そして人を見捨てている人は、チャットGPTに見捨てられる世界は、
SFの結末のよくある話。


スカイネットも近いかな。
www.dailyshincho.jp
toyokeizai.net

子どもは子ども

国防レベルの考えの中での「禁止」なのか、
おまえのかーちゃんでべそ的な雑談の中での「禁止」なのか、


中学生ぐらいが「世界が終わってしまえ」と思うのは歴史の常だし
爆弾の作り方とか死に方とか興味もったり
5億年ボタンとか、核のボタンのしてとか無茶を「影響範囲を考えずに」言葉にしたり
子どもは子ども。


皆考えていることが違うのに、
ツイッターのような単純な文章で同列扱いにされて扱われるのが変な話。

文字だけではすべては語れない、ことを知らない子どもも話しに参入できるから
何も決まりようも無い。

できることは

変な不安を膨らめるのを捨てて、
今見えていることをしていけばよい。