ICTを介した学習スピード

今日の子どもの疑問
給食中、「ふ」を見つけて、「これなーに?」と。
「ふ」だよ。
「ふ」って何から出来てるのかなぁ・・・

→昭和

 あとで辞書・辞典で調べてみよう→調べたい意識の持続→辞書での検索→発見。
 興味の拡張・体験学習や親からの聞き取り

 時間がかかり、疑問の持続が当たり前だった。

→令和

 その場でググる→「ふ」の作り方動画→辞典的解説等が数分で見れてしまう。
 →「へー!なるほど」解決終了。

 疑問を持続させない、即回答。
 →疑問が持続できない。

 →長期的なテーマに取り組む経験は少なくなっていく。
  新しい情報がどんどん入るため、「気にしない」能力などが長けていく。
 →タイムパフォーマンスを求める
 →深い思考に耐えうる身体と脳が育たない。


いちどグーグル検索を身につけてしまえば、アナログには戻れない。
アナログこそ、小学校時代に体験させて、人の進化を体験させたいが、
裏づけは無い。


「無いと、なにもできない」「身に何も付かない」人間を育てて、
意味があるとは感じない。


edutmrrw.jp

soctama.jp

それって感想、それでもよい、個人の判断が大事

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学校では実際、文が読めない子がいるなぁと感じる。
6年生でもたどたどしい。
長文に耐えられない
問題文が読めない

ユーチューブを見る
音声読み上げを使う
文字を動画にする

文字を頭の中で映像化する脳の作業の作業量が、相当少なくなっていること
親子の会話のやり取り
目線をあわす人とのやり取りが、相当少なくなっていること
動画を早送りすることに、慣れていることで、先生の会話に耐えられないこと

そうだろうなぁと見られる様子はそこかしこにある。

すべてが、論文で、実験で、立証されるものではない。

でも、実際感じるから、私は、目をあわす、文字を読む、想起するは大切にする。

これは、私の感想。
感想からくるオリジナルな私の行動。


自分自身の最終選択権は私にある。
それが、自我を保つ秘訣。

右往左往するから、自我が崩れる。

ネットだとか、論文の査読だとかに寄らないと信じない、
ヤフーのコメント欄に反対の意見が書いてあるだとか、


論文は?根拠は?うちは違ったよ?
そんなネットの意見に振り回されて、子どもや家庭が壊れているのを感じる。

潰すはやすし、復興はむずかし

news.yahoo.co.jp

体育座りを廃止して、代わりにどう座るか
そんなことを論議する時間があるなら学習に時間を当てたい。
運動に時間を当てたい。

手いたずらをしない、教師の話に集中を向ける、省スペース
理にかなった今出来ている行動を崩して、
それ以上の理想状態を提示できるならつぶせばいい。

実際は、崩れれば、崩れるのは早い。そして、復活させることは難しい。
当たり前は、当たり前が大事。


軍隊みたい、考えることをやめている、ロボットみたいと否定する人もいるが、
そう知った人々は壊すことばかり威勢よく言うが、
壊した後の調和が崩れた後の世界に、だれも責任を負わない。

教師は、「知りえた秘密は守る」という守秘義務のために、


崩壊していく子どもたちの生活を公にすることが出来ない。