小豆餅と銭取 という地名

伝承で、三方原の戦いの逃げる最中に、小豆餅を食べた家康が、武田に終われて駄賃を払わず逃げ、追いかけてきた婆さんに銭を取られた地名として銭取、小豆餅という地名が残っているが、伝承なので適当な話だったのだろう。


昔話を子どもにするときに、それほど正確性を求める家訓等ならともかく、昔話であるならば、爺、婆なら話を面白おかしくするし、人によって伝言ゲームのようになっていくだろう。


そうした、伝承の成り立ちと、実際の地元の郷土史家によると、「銭取」の場所は栄えておらず盗賊等が出たさびしい土地だったためにもともと地名があり、
小豆餅は坂を登ったところに茶店があり、それぞれつながり無い知名だったものが、面白おかしくつなげられてしまったようだ。実際銭取はずいぶん距離がある。

うそかまことかわらからない、どっとはらいめでたしめでたしのような昔話、伝承であるうちはよいが、ネット等にまとめられてしまうと、知識が固定されてしまうし、実地調査を知らない人は、距離感が分からないし、昔話を聞かせてもらったことが無い人の想像力からしたら、うそかまことか分からぬ話の信憑性についての考慮が欠けてしまうし。

一般に知られている知識、それより深い知識、

一般に知られている多数派の知識のほうが、多数決で定説になってしまう場合、
ICTリテラシーがあるほうが生き易いのか無いほうが生き易いのかは分からない。


ただ、責任逃れのために「規則があるよ」と無責任に縛りながら、
みんな見てみぬ不利をして本音と建前を常態化してしまうのは、良いとは思わない。情報教育は、その教える内容に疑念が残るため、だから先生方は「やったふり」をするのみになってしまうのだと思う。

情報教育は、知行合一していないことが多い。