体験格差というけれど

体験格差 を読了したが腑に落ちない

①コロナ禍のネット調査であること
 作者も断りを入れているが、全体的に体験が少ない時期であったが
 統計として意味があるのか

②学校での体験活動を除外していること
 家庭での体験については、調査を取りまとめている人間の先入観がかなり入っていないかと感じられた。受験のために塾は行くものである? 国内の遠いところまでの旅行は必ずしも必要?

③「理想的な体験をしている状態」が明確でないこと
 英会話やサッカーで本格的なクラブチームに入る事は必須ではないし、少年団スポーツをやらなければいけないと言う事でもない。家庭でお手伝いをする体験や電車やバスに1人で乗る体験も住んでいる土地土地によって全く違う。

 放課後にする体験には、子供によって経済によって大きく差があるよ、といった事実を述べているだけであって、体験をしていないことが貧困であるかのような本の帯の煽り文句は該当しないように思う。


逆に、あまり体験の意味を認識できなかったり、体験を経験まで落とし込めなかったりする未就学児から、小学校低学年までの年齢での多すぎる体験、早熟しすぎる学習の提供の方が問題ではないかと思う。

実際に5年生で地理を学んでから、その土地に行った方が学んだことが実感を持ってふに落ちることになる。植物の仕組みを6年生で学んでからジャガイモ掘り体験をした方が、植物を見る視点が豊かであるので、より学びが多いのではないかと思う。


都市部ではその年頃では座学にドップリ入ってしまっていて、体験でじっくり学ぶことが少ない。体験させる活動は幼稚園保育園へとどんどんどんどん低学年低年齢化している。


放課後でのんびりしていたって全然問題ない。大丈夫だよ。
放課後に金をかけて遠くまでわざわざ旅行したり、
興味もないのに、いろいろなものを見て体験してできたつもりになることより
好きなことをじっくりやっていける社会の方が豊かではないかと思う。


教育が促成栽培すぎて、子供が子供にあることを大人が忘れている