昭和、平成の学校文化の終わり

若手

なぜ技術を動画にアップしたりスキルとして教えたりできるのかがよく分からない。
その自信はどこから来るのだろうか。
kyoiku.sho.jp
・校内で他の先生とどう調整しているのだろう?
・管理職や諸先輩とどう折り合いをつけているのだろう?
・校内の研修でどうふるまっているのだろう?
・書籍で得た知識、現場で得た知識を動画で再構成するのは原典に対していいのか?
等々考えてしまう自分には、さっぱり分からない。


書物に学び、研修に学び、先輩に学び、
失敗も成功もして、いろいろ工夫して身に付けてきた技術。
それをいとも簡単に身に付ける人々もいるのだなぁ。
それも公開され書物も通さず陳腐化していく。

考えているうちに、世の中は進む。

ネタばれ

手の内が見えている中で学校の先生が教えるって、何を教えるのだろう。
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お便り

様々な事例が集まる中で頼りにURLを載せるのは、ありだろうか
h-navi.jp

来年も

宿題は、書き取りをやるのだろうか。
紙のドリルは購入するのだろうか。
1年生から、タブレットをさせるのだろうか。
鉛筆は、いつまで使わせるのだろうか。
画面を見続けた末の近視は、だれが責任を負うのだろうか。
すぐ検索をしてしまう癖がついて、論理的にじっくり順を追って考えることができなくなった子に対する責任を、担任の先生は背負ってくれるのだろうか。

教師は、責任を負わないで数年で去ってしまう。

短絡的、あさはか、が主流になったら、
思慮深い、慎重、は、障害と認定されて排除されるのだろうか。


ごんぎつねを
「確かめずに打った話」
ちいちゃんのかげおくり
「戦争だから死ぬの当たり前」
大造じいさんとガンの山の男の盛ったこともはいっているであろう話を
「生物学的に話がおかしい」


実験をやっても、
「実験なんて面倒くさい、知らん、答え早く教えて」
教室に入ったら目も合わせずに
「画面に向かってチャットする」


そんな子供は育てたくないなぁ。


センスオブワンダーは、どこへ行った。