気を付けたい
更新作業で新しいクラスが発表前にばれる
全国ニュースになること自体が信じられない
でも更新してからまさかと気が付いた。
でも学校に保護者側端末が無いから何が起きたか分からない。
エヴァンゲリオンのように「訳の分からいものに頼ろうとしている」に近い状態。
肖像権とのたたかい?
www.watch.impress.co.jp
実際は肖像権×の家庭があった場合どうするの状態。
離婚した片方の親が引き取りに来かねないから掲載不可、なんていうケースもある。
閉じた空間とは言うけれども、心配の種は尽きない
醜形恐怖症のような子、繊細な子は、カメラに映ることすら拒否する子もいる。顔を伏せたり手で隠したり。そんな子らにそうするな、と指導するのは至難の業。
なんで顔が映るのも気にしないでいられるんだろう、とこちらは思うし、
なんで顔が映るのが気になるんだろう、とあちらは思うだろう。
「気にする子」も「気にしない子」も大丈夫、ならよいのだけれども、「気にするなんて悪い子ね!」と価値づけられるのは、おかしい。
勝手につながる
信頼があれば、別に何ともなかったのに、どんどん信頼がない世界になっている。デジタルでつながるのは、あいまいさのなさが、西洋的なのかもしれない。
ケータイ
time-space.kddi.com
ケータイ安全講座が、この10年、一斉に集めて外部講師に委託して1時間で一斉指導して感想文、で、「やったことにする」のが続いているのだから…。
自分事としてはとらえづらい。実際、学校内で、モラル指導13項目を伝える時間はなかなかないわけで。しかも携帯持っていない子にはちんぷんかんぷん。持っている子にとっては当たり前のこと。
#教師のバトン
街に生まれて土地に縁なく第一次産業も地域にない異動を苦にしない人
と
土地や家を脈々と継いでいて、地元とつながりが多く後を継ぐ必然性がある人
とで、学校観や人生観が違うのは当然のこと。
でも、ネット上で語られると、その「見え方」の差は表面に出ない。
投資話で生きようとしている人と第1次産業で日本を支えている人と
価値観が違うのは当然のこと。
「エッセンシャルワーカーに拍手を」に違和感があったのはここ。
生活のために必ず必要な支え合う仕事、が当然と思う中に、
そうでない仕事の人がなんか言っている、という感じ。