パスワードを変えると、何が起きるか分からない。
保護者のみなさんが、オンライン配信を学校のアカウントで受け取る場合
家庭で「児童用アカウント」を入力している場合がほとんど。
パスワードを変えると、当然、ログインしている家庭端末に通知が行く。
「不審なアクティビティが検出されました」とか
「ログアウトしました、再び作業を続けるにはパスワードを入れてください」等々。
どんな反応があるか分かったものじゃない。
家庭の端末に影響を与えることを、誰が進んでするだろう。
パスワードを、誰が変えるか
子供自身が変える → 子供がいたずらに変えることができる
子供は子供。まだ、考えが至らないところが多々ある。
子供を、大人だと思っていないだろうか、と思うことが、GIGAスクールに感じるところがある。
だれもわかっていないものに取り組んでいる
教員は、グーグルの資格は持っていない。
Googleの直接の相談窓口も、よく分からない。
Googleの説明書きの日本語も、なんだか翻訳チックで、よく分からない。
使っている人々が結局自助で検索して解決を探している。
こんなに不親切なものがリリースされて、その下で右往左往している
あきあきしながらやっている。
持続不可能な社会は、都市部。
昨日、地震。
物流が止まり、電力が止まって危険になるのは、
綱渡りをして走り続けている都市部。
ネットを利用した産業は、土地の無い、物理的に生み出すもののない「街」の人々が生きる術。隣近所も誰だか分からない。小学校の友人など会う友人も、いずれいなくなる。地の利がない。そんな人々は、ネットでつながるのは大事だろう。
電気が無くなれば何もできない、そんな脆弱な人々を育てるつもりはない。自分で考え、行動できるたくましい人々を育てたい。
その都市部を継続させるために、知恵を貸せと言われても、
地方は正直メリットを感じない。
地方は、まだ、様々なつながりが残っている。食い物もある。十分持続可能。
動物飼育をしていると、適性な飼育数がある。
学校飼育動物学会のページをみれば、学校で多頭飼する怖さが分かる。
教育は、優秀人材を都市部に提供するシステムになっている。
吸い取られ、消えていく。戻ってこない。
もうやめたらどうだろう。
中学の生徒会ぐらいの狭いコミュニティで、同じような新陳代謝の激しいシステムで治めたら、それはまた面白いように思う。
アナログの良さ
辞書引き。と。グーグル検索。
付箋がたくさんついて、1000も調べた、5000も言葉が頭に入った。自信がつき、分かりやすく、学習以外の目的に使いようがなく、保護者が安心して使わせることができるのは、どちらだろう。
語り。と。録画やリモート。
目を見て、直接、語り掛ける。心に訴えが届くのは、どちらだろう。
一発のは合唱や合奏の発表。と。電子楽器や録画撮りの発表。
やり直しがきかない緊張感が高い分、やり遂げる達成感が高いのはどちらだろう。
乗り越える、を実感できるのはどちらだろう。
あいまい
我が学校は、3年生までに、徹底的に、読み書き、加減乗除、基本的なコミュニケーションを教えます。パソコンに触れさせるのは、それからです。
と、言えるだろうか。
あいまいなまま、時は進む。
学校は、責任を取ってくれない。