感覚がみな違う

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浜松市は教師の個人端末持ち込み禁止です。
そのことに価値があるのではなく
対策としての禁止なので
どこまで効力を維持するか、どこまでみんなが守るのか、
また真面目に守っている先生が損をするようになりそうな気もします。

感覚は人によって違う。

教室の板書をSNSにあげて議論をしたり
教育実践紹介として児童の作品をあげたり
著作の著作権を無視して教育手法を紹介したり

目の前に指導教員や仲間の先生がいるのに
遠くのどこかの先生とつながって職員室内で孤独をしていたり

手を使う巧緻性を育むはずなのに
育むはずのものを外部委託してICTがないと生きていけない人間を育てたり

ICTを使うことで危うさを感じることも
その人の生活経験や地域によって、おいおいそれはいいのかよ、と言うものも
多々あります。

教育は仲間づくり

教育は人間の可能性を育てるもの引き出すもの伸ばすものとして技能を磨いてきた先生は
外部にあるものを使う能力をたけさせる流れにはついていけない。

文字が書けないなら音声入力でいいじゃない
そもそも鉛筆なんて必要あるの?なんて言われても、、、

正解が1つでなく、私はこう思う、が、大事になってくる世の中なのだなぁと思います。


使っている側は、自分がしていることを肯定する
自分に賛同する仲間が増えることで自分の肯定感が上がるから。だから仲間づくりをする。
その考えは古いですよ今はこうですよと言って。
それを鵜呑みにするのではなく自分の頭で考えて
自分はこうしたいこう思うと言えると良い。

じゃあ自分はどうか

私は、子供時代に、ゆったりとしたリアルな体験をさまざまにさせたい。
子供は小さい大人では無いのだから。10歳までは生き物を育てるのと同じように。


デジタルへの移行は何歳でもできる。
アナログへの移行は難しい。
一度文章を記号として読み取ることを覚えたら
味わいながら読むのは難しいだろうし
Youtubeを早送りや開始する平でザッピングすることに慣れてからでは
45分の先生一人の授業を聞き続けるのは難しいだろうと思う。

今ここを大事に

リアルな人と話す、好きでも嫌いでもないがうまく関わっていく、互いに尊敬と信頼でつながりあう、文字画像のような表面だけでなく裏にある大切なところを理解できる人になる。使うだけの消費者を育てるのでなく作る側になる。


ネット上の膨大な情報と比較すれば、自分の小ささに疎外感などいくらでも感じる。
イマココを大事にすれば、それほど不足はない。我是足るを知る。